寺の由来

所在地 〒791-3143 愛媛県伊予郡松前町大間三三〇番地
電 話 089-984-1451
宗 派 真言宗豊山派
山 号 医王山
院 号 瑠璃光院
本 尊 薬師如来
総本山 長谷寺(奈良県桜井市初瀬)
当寺の開基、由来については、諸説があって確定し難い。
文亀二年(一五〇二)金蓮寺七末寺の一寺として建立されたとも伝えられ、また明治初年の「寺院取調」によると、延宝七年(一六七九)仁良和尚の開山とも記され、当寺に伝わる「萬記録」によれば、享保一〇年(一七二五)開基とも記録されている。
明和八年(一七七一)筆書の「寺院判鑑」には、
本寺温泉郡石手村石手寺末
    真言宗 瑠璃山医王院    教深寺
    延京五辰年二月入院     実名本城
との記述がある。「萬記録」「寺院判鑑」等によると、最近までは石手寺末寺であったことが判る。
内にある宝筐印塔は、享保一四年(一七二九)の建立で、昭和五九年の改修中、多くの「一字一石」を出土している。
寺の主な行事としては、春秋の彼岸会・灌仏会・施餓鬼会・大般若会(三月十三日)・日待祈祷・盂蘭盆会等がある。
また、毎月第三日曜日には午前八時より観音講が開かれ、檀家の篤信の人々によって御詠歌が奉納されている。
明治初年頃まで近接して寺子屋「小松庵」があり、庵の規模などは不明であるが、松山藩学明教館出身の太田熊衛が子弟を教育していた。
明治五年(一八七二)「学制頒布」により学区制が定められ、翌六年、小松庵塾は、上高柳墨水小学校の分校となった。
境内墓地に文化年間、自宅を家塾として子弟を教育し、その実績を藩庁より称揚された大政金右衛門の墓碑があり、「寺子中建之文政三年」と刻されている。
松前地域教育振興の源を確立した人として今に崇敬されている。